日本人の民族性カルマ

 

カルマの法則は宇宙の真理の一部であり、どなた様にもこの仕組みは働いています。民族性のカルマというのは、遺伝子コードの中にあり家系、少数単位のカルマよりも、もう少し広範囲のレベルなので血の繋がりのカルマより、自覚されにくいケースが多々あります。

カルマの善行を勘違いしている人が多いのも事実で、これには人との関わりが1番にあげられます。

人間関係の悩みを抱えている人は多いのですが、円滑にいかない他者との関係は特に、親子関係、ご夫婦など関係が身近なほど、お互いの魂の成長のために、現世で関わりを持っていますので、カルマの影響があるのは事実です。

 

参考記事

 

日本人の民族性カルマの性質は・・・

 

カルマの性質は大きい範囲では宇宙のカルマ、地球のカルマ、土地のカルマ、民族性のカルマといった例があげられます。民族性のカルマの解消が全体で起きるときは「伝染病」や「疫病」といった「流行り病」の存在があった時代もありました。

民族性の「カルマ」は日本人に特有の性質があるのです。このことは、自己啓発の引き寄せの法則を実践しても、成功されないことやサイキック能力の開発にも、関係はしています。西洋式の能力開発は、日本人に合わないことがあるのです。

 

命・・・

 

100年も断たない前まで、恥や外聞、お家の誇り(プライド)などを重んじる教育がされていたことは事実です。

道徳観というより家系レベルでの○○家に生まれたなら・・・というような、心の美学のようなことを、男子は男子、女子は女子という特有のことを教えられていました。日本の歴史がそのことを物語っていますよね。

男は「侍」精神、女は大和撫子、どこかで一度くらいは聞いたことがあるはずです。実際にはどのくらいの人が外側メンツを保つために、本音を抑えて生きていたのかは分かりませんが、今のように男女平等や自由を選べなかったのは事実です。

「生き恥をさらすぐらいなら死を選ぶ」というように、そのことが誇り高いとされていたのです。このことは命よりも大切とされていたのでしょう。

泣く泣く子供を亡くしても「武道の習いですから」といった母親、父親、そのときの時代背景であり、社会通念であったのです。

徳川家の三代で一世代言われるのは(徳川家康~家光)100年で三世代を渡れば、100年後に一世代は変わる、100年前の世代を生きた人はいなくなり、悪しき習慣は断ち切り(特に家系で継承されるもの)、別の情勢を創れるという、本当は良きものを継承させようとしたものと私は父から教えられました。

「生き恥をさらすより・・・」と言われた教えは、今の時代から観ると極端にはなりますが、親や兄弟と言ったものの血縁を大切にしながら、国のためなら、お家のためならという根底にあるのは「我が身だけが良ければいい」という教えではないのです。

命を犠牲にしてまでも守るもの・・・そこにはプライドや恥をかきたくないという外聞だけではないものがあるのですが、日本人の性質は特に仕事が絡むと自らを犠牲にし、身を粉にして働くことが「よし」とされる性分でもあって、自分自身の心身の悲鳴、限界に気づかず、偽りながら社会生活を送ることをされている人が多っかたので、精神的な病に陥った人が多かったのも事実です。真面目と言われる性質ですね。

自己犠牲があっては、心からの情熱を生み出せません。好きなものが嫌いになってしまうようにしてしまうのです。

日本人の先人たちが、昭和時代に私たちに教えたのは、命の尊さ、争いごとをせずに日本全体が、平和で豊かに生きることを託したのだと思います。

 

参考記事

 

お金に対しての固定観念

 

お金のことを「聞く」「言う」のは恥ずかしいことと、思っている人は多いのではないでしょうか?人に収入を聞くことや、お金の話しばかりする人を嫌がる人は多いです。

確かに自慢話のような「○○稼いだ」と、いつも金銭の「金額が優先」の話しだけをされる人の話しは、波動は低いです。

何をどのような心の意志で行った結果、金額が○○と「プロセスに志」がないものは、数字の大小が優先されてしまいます。

そのようなことは別にして、お金を稼ぐことや受け取ることへの抵抗がある人が多いのは、日本人の民族性カルマでもあります。

悪いことをしている人はお金を儲けている

何か悪いことをしているから
お金を儲けているのだと

どこかで聞いたことはないでしょうか?

確かに世界中見渡しても悪い事をしているから、人よりお金儲けをしている人がいるのは事実でもあります。

日本の時代劇には、必ず悪代官や悪商人がでてきますね。アメリカドラマでは、武器商人です。

精神的美学の教えでもあったのでしょうが、まともにやっている人は貧困で、お金持ち=悪のような図式が、世界中どこでもあるようなのですが、特に日本人はカルマにより、自分自身に適切な金銭を得れない人は多いです。

よくある自己啓発系の豊かになる○○セミナーなど参加して、セルフイメージの改善を試みても、適切なお金、収入を得れないのは、カルマによる影響があるのは否めません。

幼い頃から教えられたことのお金にたいしての、セルフイメージを変えるなどしても、民族性でのカルマによる刻印を解消されていない限り、本来の自分が持っている潜在力が発揮されませんので「目標設定した程度」の収入アップぐらいはできるでしょうが、その程度で終わります。

自分自身が決めた範囲をでれない「制限」をまたしているのです。自己啓発、精神的アプローチの限界ですね。

 

参考記事

 

カルマ解消とは既知の存在ではないのです。自覚していない領域を変化させることです。お金を儲ける、収入を得るという民族性のカルマを解消した後、日本人が学ばなくてはならないのは、社会貢献に対して、豊かな人はお金を出すことが当たり前であるという認識です。

今でこそ芸能人や社会的に成功者と言われる人が、ボランティアで「○○円寄付」というニュースがでたりしますが、社会的成功者が多いと言われる日本のトップの大学で、社会貢献で寄付される人は13%、アメリカでは90%を越えています。先進国では最も低い数字です。

お金を払うことへの抵抗というより、人より稼いでいることが分かると「たかりや変な疑い」をかけられるというような、お金に対しての負のイメージの日本人特有の教えが根付いているようです。

大人になれば自分を育ててくれた社会へ還元、貢献をしていくのは、成功したのは自分だけの力ではない、謙虚な現れでもあると私は感じています。

成功者と言われる人は、必ず努力はされています。ですが、その境遇や環境というのは決して自分だけの力で、与えられたものではありません。

「志」を持たせてくれたことに、最大の感謝があれば、社会に対しての貢献は必然なのです。

運のよさというのは、カルマの「善、悪」両方の働きもありますが、自分の意志を貫けたことは、個の力だけではないのです。

全体繁栄や貢献へと方向性のベクトルが変わる中、個人レベルのことでお金の問題を抱えている方は、「カルマの作用」によって、霊的成長を妨げる原因になっています。自分自身が何かをする動機が「了見が小さい(せこい)、歪んでいないか?」被害者意識がどこかにないか?あまり見たくないことですが、確認されて下さい。

スピリチュアル的な健全なお金の循環をさせたいのなら、お金の話しを聞くのが嫌だと感じる方や、お金の請求や支払いのことを言い出しにくいと感じる方は、特に、日本人特有のカルマ解消は必要になります。

三次元的な物質のことで満たされることを感じられない方は、霊的成長よりも現実世界での「不満足」に気を逸らせることが多いからです。三次元の幻想に囚われるのは、霊的成長を遅らせる原因の1つでもあります。

 

参考記事

 

日本のアセンションが進んでいるのは

 

日本がアセンションの中心になると言われているのは、日本人特有の精神性の高さなのです。近隣諸国のアジア圏の国と比べても、土地や民族性のカルマの解消が進んでいるのは、日本の歴史の中、窮屈で理不尽なことも多かったはずなのですが、第2次世界大戦後の戦争放棄や国や家のためと言う教えが、教育の一部でもあったことで「我、先に」という「自己主張しすぎる」ことを嫌う文化であったからです。

私たちのご先祖様はさぞかし窮屈な思いをしてきたでしょうが、日本人性質の特有は良くも悪くも「我慢強い」「粘り強い」気質、よいものは全体的な「調和」や「伝統」を重んじる性質であり、悪いものは枠から出ることをしない、周りの目を気にしすぎる、経験をしたことがないチャレンジを嫌う性質でもあり、何事にもよく言えば控えめ、悪く映ると曖昧にしてしまう気質は、我慢し過ぎる人は親から教えられたことも含めて、民族性のカルマの影響も多大にあります。

極端ともとれる日本人の精神性の美学は、良くも悪くも血の繋がりに縛られている、そこから出ることへの抵抗があるのは、事実でもあります。

カルマはひとり、ひとり輪廻転生のときに刻印されています。善行を行い解消すべきカルマの清算をするのが、人が霊的成長する過程なのです。そしてまた同時に不徳を積むこと、現世でもカルマの生産をしてしまうのが、人類の性質でもあるのです。

何が正しい心の意志なのかは?、その人それぞれ違いがあるのは必然です。私がスピリチュアルの世界で仕事をしていて、非常に残念でならなかったことは、流行りのスピリチュアルを追いかけ楽な方に逃げることが、不善のカルマであることに気づけない人を多く観てきたことです。

叡智の探求や覚醒への到達は、楽に簡単に行えることではありません。どこかで勝者や敗者が決まるものではないので終わりない孤独な道でもあり、常に「自分自身の弱さやピュアではない心(邪心)を持つのも人間である」という事実を受け入れて、魂レベルで清めていかなければならないからです。

自分の心の意志それは本物ですか?
誰かや何かの教えではないでしょうか?

ひとり、ひとりが日本人特有の性質を磨き、潜在能力を解放させることは、大きな全体繁栄に繋がっていきます。個の存在の尊厳を思い出してこそ、全体繁栄ができるのです。ひとり、ひとりが霊的神聖さを自覚していくことは、宇宙への貢献なのです。

地球のカルマや民族性のカルマの解放が進んでいます。日本人に生まれた私たちの良い性質が活かされる時代になってきています。抑え込まれた偽りのものは、存在できないようになってきています。

悪しき習慣はどんどんと浄化、崩壊されていきます。個人レベルでも、それは起きているのです。自分自身の潜在能力にあるよい性質を自覚されていかれて下さい。

 

参考記事

 

 

       

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スピリチュアルヒーラー 霊的次元の真実を探究していく魂の方へ、目覚めになるきっかけになれば・・・と霊的世界の真実と現実世界の事実を曖昧にしないように書いています。サイキック能力開発の指導、スピリチュアルヒーラースクールを開催しています。