人類の進化と共に意識が高くなることが、起きています。それは、ハートを開くとも言えます。
マインドではなく、真実を感じるハートが磨かれるのです。内側の奥にある、ハートです。
第1チャクラ~第3チャクラ(上位)
第5チャクラ~第7チャクラ(下位)
2つのバランスを取るのが第4チャクラのハートチャクラであり、陰陽統合されてくると本当は独立されたものだと感じてくるはずです。
日本人特有の遺伝子(DNA)
覚醒は目指すものでもないですし、テクニックやノウハウでできるものではありませんが、チャクラからのアプローチでは上記に書いたように上のチャクラと下のチャクラのバランスがとれないと覚醒には至らないのです。
日本人の場合は上のチャクラ第5~7チャクラは開いているのですが、物質次元に対応している「下」のチャクラが弱いのです。
生命エネルギーとも言える、バイタリティーが西洋人に比べると圧倒的に少ないです。人としての資質を考えますと礼節を重んじる謙虚な姿勢があり、霊的に高い人種であるのは事実です。
サイキック能力開発をしていく上で、グラウディング力を強化しなくてはならないことにも関係があります。
この2年ほどは特にスピリチュアリティに目覚める人が増えていることは、地球全体で起こっていますが、私たち日本人はまだまだ元々持っている霊性を解放させていません。
参考記事
真実のハートを開くとは・・・
ハートは人間愛を養うのではなく、もっと大きな宇宙の天意(アイ)空を感じる所です。
上位、下位のチャクラのバランスが整い、エネルギーレベルで陰陽統合していくと叡智への探求、宇宙の真実を知るプロセスの王道に入ります。
「表と裏」「光と闇」の二極を両方観ることができます。片側の側面だけを観て、真実とはならないことが、宇宙の仕組みの中ではたくさんあるのです。
カルマの法則は、その典型的なものだと想います。
そしてハートを開くことができるようになると、潜在能力を発揮できるようになります。
私自身このことに氣づいていったのは、スピリチュアル・コアスクールのアドバンスコースのバージョンアップが完成したときです。
参考記事
ハートが開くことが霊的成長していく統合
肉体+スペースというのが、私たち人の真実なんです。カルマを解消し「悪癖」を昇華させた上で、観察者として俯瞰して観れると自分自身の三次元的な観念や事象に囚われず、高次の世界と共振する超越意識、高次元意識(キリスト意識)へと変容することになります。
人に対していい意味で関心がなくなることでもあるのですが・・・すべてにおいて「信頼する」自分自身の選択を信じる、人の可能性を信じることができます。
「ハートの奥」にある何かを確信できるのが、霊的成長、進化なのです。
三次元の世界にいながらどこか別の次元にいる感覚になってき、全ての時間ではないですが「いまここ」と言われる所に意識をおけるようになります。
「いまここ」とは現在という時間のことではなく、時間のない世界でもあります。
人は三次元に肉体を持っていますので、現実を観てそこに意識を置くと「いまここ」ではなくなり、この辺りのことは口や筆で伝えるのは難しいですね。
それを「ワンネス」という自他の境界線がない世界と表現される方もいるようですが、そのワンネスをずっと感じるのは、三次元の二極の世界では難しいかも知れません。
至福感もありますが「真実」とは、ときに残酷に観えることがあり、それが宇宙の法則の真実と知るとなんともやるせない気持ちを持つのも体験当初はあります。
私、個人的にはカルマの法則の真実を知れば知るほど、ヒーラーを辞めたくなるときがありました。
人は誰でも「不徳」を積んでしまう生き物なのですが、闇堕ちしていく人の素性のようなものは救いようがなく、それも自己責任であり、そして三次元的には「悪」と観えることも宇宙にとっては必要枠なのです。
過去に本当の覚醒者が自死を選んだりした人たちがいるのは、真実に触れると生きがいに感じていたことが必要ない・・・自分自身の必要性を見出せなくなるからかも知れませんね。
覚醒者の孤独というのを越えられなかったのではないのかな?と最近感じました・・・
スピリチュアルの世界でたくさんの方が、ちょっとした至福感などを覚醒と言われる人もいますが、いっときの高揚感にしかすぎず真実のハートを開いたわけではないと思います。
裏側の側面を観たら、決して甘いことばかり言えないのですよ。
宇宙の真理でもあるカルマなどは、ときに残酷すぎることがありますが、それでも宇宙的レベルではバランスをとるために行っているのですから。
自称覚醒者の方が、よく宇宙には「愛」しかないと語られますが、それは事実ですが人間レベルの「愛」と宇宙と同調、共振していくのは別物です。
三次元の二元性の世界は、相対性の世界でもあるので、無条件の愛などは成立しないと思います。
聖者の方々はわざわざ「愛」など語りません。宇宙の天意(アイ)を「愛」と言ってしまうのは、とても陳腐に感じてしまいます。
参考記事
覚醒と潜在能力
覚醒とはなんなのか?というと究極に言ってしまうと、カルマを「超越」した人達です。
正確には覚醒者、聖者と言われる人でもカルマは多少は残っています。
コーザル次元(魂の領域)との同調する霊的成長は、地球上の三次元の世界だけではなく、あらゆる領域を感知できるようになります。
潜在能力が最大に発揮できるようになるとも言えます。
ライトワーカーとして存在するには、これからの時代、とても大切なことで、もう常識と言ってもいいかも知れません。
真実を伝えられる神聖ヒーラーの繁栄は、これから益々加速されるはずです。真実を知ることは、綺麗ごとばかりではありません。
宇宙の法則の残酷さを知ることでもあるのですが、高次の世界の視点からの真実を腑に落とせるからこそ偽りではない、慣れ合いの優しさや同情ではなく、どんな人でもその人なりの存在意義やどんな現象でも受け入れる強さと「赦す」「許容」することができる「揺るぎない光を放てる」人になるのだと私は思います。
覚醒へのプロセスの段階では、課題を越えていくため痛みを伴うことも多く、自分自身の真実から逃げず、向き合う強さがないとライトワーカーとしての活動は、中途半端なものになります。
強くなければ人に優しくはなれないのです。
グラウディングができていない自分自身の軸がぶれるようでは、現象界に振り回されて明確な高次元の情報をキャッチできることは少ないはずです。
自我の範疇をでない未熟な精神を認識できずに、高次元の情報を錯覚するのはカルマの不徳そのものであり、周りに不幸の種を撒く人にもなります。
特にアセンションが進んでいる今は、明確な高次元と繋がれる能力を磨くのは必要です。
今まで繋がっているつもりでも、繋がれていない人が目立ってきたのも、昨年は目立ちました。
「覚醒」とはそんなにしたいものなのか?とも思えるのですが、2020年になり今までインドやチベットの「修行僧」「行者」でもなかなか到達できないことが、今後の日本で「到達する」人達、今までよりは数は増えるはずです。
誰でも覚醒できる訳ではありません。現世でどんだけ努力しても、できないものはできないです。
元々、私自身はあまり覚醒する、しないには関心があった訳でなく、サイキック能力、潜在能力を最大に発揮できるようになりたい・・・と「時間の概念の変更」が定着できれば・・・と
・・・なのですが、そうすると勝手に、覚醒への入り口のプロセスに入っているようです。
この辺りの初期段階をスクールのカリキュラムに取り入れているのが「遺伝子コード・コア」カルマ解消コースなのですが、覚醒へのプロセスはそんなに甘いものでもないのは事実です。
「表・裏」「光・闇」など二極を超越できる意識・波動へと近づくには、「陰陽統合」する右脳・左脳のバランス、男性性の陽極・女性性の陰極を「陰陽統合」する修練は必要です。それができてはじめて二極を超えたアートマンへ到達します。
私たち人は肉体を持って三次元に存在し、「魂の成熟」をしていく霊的成長のプロセスが死を迎えるまで続きます。
・・・という事は三次元の世界、現実社会が1番の魂の「修行場」でもあり、それが宇宙の采配です。
グラウディングできていない現実の認識ができないスピリチュアリストは、永遠に覚醒などしないのです。中途半端な知識はより現実を拗らせます。
それよりも現象界の三次元で幸せになることが大切なのでは?
参考記事